私たちからのメッセージ


私たちは、公益社団法人 大阪自然環境保全協会の中の一つのグループ「えぼしがた公園自然観察会」です。私たちが、ここ烏帽子形公園で観察会をするようになったのは、1994年からです。それには、ここ烏帽子形公園と、私たちの観察会の母体である「公益社団法人大阪自然環境保全協会」との深いご縁があります。

河内長野の環境を守る会資料

日本消費者連盟関西グループの1988年1月発行「草の根だよりNO.147」をみると、どうして、この烏帽子形山の史跡が、市街地にありながら、なぜいままで、このような良好な状態で残されてきたのか、その理由がよくわかります。

1980年代、河内長野市は、烏帽子形山全山に道幅2m、全長2.2kmもの遊歩道を敷設し、コナラ林や雑木林を整理し全国の桜とバラを集めた都市公園へと造成する計画を進めていました。
それにストップをかけたのが、「河内長野の環境を守る会」のみなさんです。

反対運動を起こし、地質や生息する生物種、歴史などの情報を集め、市に都市公園化計画の問題を指摘し、この雑木林や里山景観を残すよう要望を提出しました。住民を巻き込んでの説得活動によって、わずかながら調査のため予算が付き、当大阪自然環境保全協会(当時は社団法人)が赤字覚悟で調査を受託。調査すると、市民の皆さんが考えている以上に、烏帽子形山は貴重な里山の生態系が残っていることがわかり、協会は、「現地形と植生をできるだけそのままの形で生かす」公園整備を提案しました。その結果、市は都市公園計画を大きく方向変換することにしました。そして生まれたのが、「自然生態観察公園」として整備された現在の烏帽子形公園です。

しいの森は春も暗い

当協会では、せっかく守られた貴重な里山公園をいい状態で利用してもらい続けるため、市民の皆さんにその自然の大切さを普及する活動も続けていかねば、と考えました。それで、当時スタートしたばかりの「自然観察インストラクター養成講座」の実地フィールドとして、烏帽子形公園を利用し、修了生たちがここで公開観察会を開催するようになったのです。

あのとき、「河内長野の環境を守る会」のみなさんが、市の計画に対する反対運動を起こさなかったら・・、あのとき、当協会が調査をせずに、図面上だけで計画する土木業者が公園デザインをしていたら・・、今の地形は保存されておらず、史跡として認定されるにいたった「土塁」や「空堀」はかなり失われていたことと思います。

今回、国の史跡に認定された烏帽子形山は、多くの市民たちの「このすばらしい里山を残してほしい」という願いの結晶のようなものです。

スケッチ(画/正田美知子)

わたしたち「えぼしがた公園自然観察会」は、ここで、1993年1月31日に第1回自然観察会を開催、その後、継続的に自然観察会を続け、今年で20年になりました。その先人たちの思いを大切に次世代につなごうと、これからも、自然観察会を続けていきます。市民のみなさんも、このすばらしい烏帽子形山の自然を、私たちと一緒に見守りつづけていきませんか。